1989年9月9日 35中隊は、AT-3の配備を終え CCKから新竹基地に移動 499聯隊の傘下に入って 新竹を拠点とした。
空対空ミサイル、サイドワインダー用のパイロンを付けたAT-3、実際に付けるとサイドワインダーがやたらと大きく見えるので、この機体が如何に小型か判る。機首には”自強”と黒文字で書き込んである。(77-6052)
ちょっと曇り空の中で暗い写真であるが AT-3が空対空サイドワインダーを付けた場合、機体との大きさ比較が出来る写真を1枚・・・この日は1日中粘って撮れたのはこの1機だけであったが、ミサイル付きと言うことで満足して帰宅した。それにしても小型のサイドワインダーミサイル”AIM-9P”が大きく見えるから、如何に機体が小柄であるかご理解頂けると思う。
翼の下に2枚のエアブレーキが有り、これが開いているのがはっきり判る。白いポッドは用途が不明であるが、ジャミング用と地元航空マニアは言っていた。どうもAN/ALE-41チャフディスペンサーらしいが めったに付けない、私もこの時が最初で最後であった。(77-6057)、1993年10月。
第35中隊
飛行訓練を終えて新竹空軍基地に4機のオーバーヘッドアプローチを行う第35作戦中隊のAT-3.
新竹基地を低空でフライ・パスする2機のAT-3(77-6049、76-6035)。第35作戦中隊は主に夜間攻撃を主体として行う部隊で、2機ないし3機で作戦を実施、1機が照明弾を落とし他の機体が攻撃をするという訓練を繰り返し行った。これは攻撃機として昼間の攻撃が可能な程優れた機体でなかった事にも関連する。
訓練でもっともよく使われたのが ロケット弾を収納できる訓練用ポッド、米空軍のSUU-21/Aに酷似(同型?)のもの。燃料タンク2本は、標準装備であるが迷彩となっておらずジュラルミン肌。(77-6051)
この機体は、AT-3の初期生産のもので 機体ナンバーが若い、また唯一”AT.30805”とステンシル文字で2行で書かれてあった。(73-8005)
空対空ミサイルのパイロン以外、タンクもディスペンサーも付けていないクリーンな機体は、まさに練習機である。77-6048は塗装が真新しくきれいだった。
武装関連装備を全く付けないクリーンな状態のAT-3。76-6046、この機体と73-8005など数機が他の機体と違う配色のインシグニアを付けていた。
どう言う訳か機体各所の塗装が各所剥げていたAT-3(78-6063)
NEXT
HOME
click here
第35中隊は、ご存じの通り元々U-2を運用していた由緒ある飛行隊である。U-2の運用が無くなり ほとんど部隊としては紙の存在になっていたが 自国で開発したAT-3練習機を攻撃機としても使おうとの事から この部隊が復活した。F-104が老朽化し F-5が主力となっていた1980年代後半から 実戦機の不足を補うために無理やり造ったような飛行隊に思えるが、大陸中共政権の圧力が増す中 使えるものは何でも使えと言う考えである。AT-3の名前の通り練習機と攻撃機を共用できる機体として設計はされていたものの、別に改造を進めていた単座のAT-3Aがう上手くいかなかった為、練習型のAT-3に武装を持たせC.C.Kの第427聯隊の傘下に第35作戦中隊を創設した。
Wings